2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
私の今日がありますのは、ひとえに地元西濃地域の皆様のご支援の賜物であることを身にしみて感じております。心より厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございます。 国家及び国民に少しでもご恩返しできるよう、これからも更に精進し、そして、全身全霊を傾けて職責を果たしていく決意を申し上げ、謝辞とさせていただきます。
私の今日がありますのは、ひとえに地元西濃地域の皆様のご支援の賜物であることを身にしみて感じております。心より厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございます。 国家及び国民に少しでもご恩返しできるよう、これからも更に精進し、そして、全身全霊を傾けて職責を果たしていく決意を申し上げ、謝辞とさせていただきます。
平成五年七月の初当選以来、連続九期、二十五年間、衆議院議員を務めることができたのは、旧京都一区、現京都二区の有権者の方々はもとより、多大なご支援、ご協力をいただいた全ての方々のご芳情の賜物と存じます。特にご生前、我が事のように懸命に私の活動をお支えくださった方々、同様に現在、お世話になっております方々、同僚議員・同志、事務所スタッフ、母、妻には感謝の言葉も見つかりません。
衆議院では、議院運営委員長、石炭対策特別委員長などを歴任し、微力ながら職責を全うできましたのは、皆様のお力添えの賜物です。 政治改革の嵐の中で、私の所属政党は民社党から民主党に変りましたが、その目指すものは国民に「信頼される政治」であり、戦後の五十五年体制の打破と、政権交代体制の実現でした。ついに平成二十一年八月の総選挙において、国民の一票による歴史的な政権交代が起こりました。
これも、二十五年の長きにわたり、私を国政に送っていただきました地元滋賀県の選挙区の皆様をはじめ、多くの仲間の皆様のご支援、先輩・同僚の議員各位のご指導の賜物であると心より感謝申し上げます。 顧みますと、私の初当選は二十五年前の昭和六十一年七月、衆参ダブル選挙でありました。前任の西田八郎先生の引退表明を受け後継候補者として指名され急遽上京し、民社党国会両院議員総会で追加の公認を頂きました。
これもひとえに、先輩、同僚議員の皆様方のご指導の賜物であり、心より御礼申し上げます。 また、昭和五十八年初当選以来、私を支え続けて下さった地元の皆様方に感謝のまことを捧げます。特に、小選挙区制の導入により、今では直接、私の名前で投票出来なくなった、現在の北海道一区から四区の皆様のご支援にも厚く御礼申し上げます。
これはひとえに先輩、同僚の皆様の御指導、御鞭撻の賜物であり、また、何より地元東京一区の方々の長年にわたる温かい御支援によるものであり、深く感謝をしております。 私の政治人生は、中曽根康弘先生の事務所に入所し、中曽根先生のもとで政策だけでなく、政治家としての心構え、理念を学ぶところから始まりました。昭和五十一年の初当選以来、政治生活はまことに波乱に富んでおり、落選の憂き目も経験いたしました。
長い歴史と伝統、家族の絆の中で、豊かに育まれたわたくしたちは、一人一人に与えられた賜物に感謝し、法にしたがい、国を富ませ、心を世界に開いた政治、経済、外交を展開し、尊い生甲斐を互いに尊重する社会をつくります。人類の恒久平和、自然との共生に心を一つにして国際社会の中で名誉ある国づくりにつとめます。愛と一致と希望の中で、力をつくし、誠をつくし、明き清き理想に向かって進んでいくことを誓います。」
この栄誉に浴することができますのも、今日の日に到るまで御厚誼、御支援をいただきました故郷の皆様を初め先輩や同僚、友人ほか、多くの皆様方の御指導と御鞭撻の賜物と心より御礼を申し上げます。 国会議員二十五年を迎えるに当たり、これまでの人生を振り返りますとき、脳裏をよぎってまいります数々の場面の第一は、幼い折におぼろげな形ではありますが、初めて政治家への志向を意識いたしました時のことです。
ひとえに郷土茨城の皆様、旧茨城三区、現茨城六区の皆様方の長年にわたる御厚情、御支援の賜物であり、また、先輩、同僚議員を初め関係者各位の御指導、御友情によるものであります。心から感謝を申し上げます。 さて、私が衆議院に議席を得ましたのは、一九七九年十月七日の第三十五回総選挙でありました。
(拍手) 今回の表彰は、先輩、同僚の皆様方の御指導、御鞭撻の賜物であると同時に、二十八歳で郷土鹿児島の県議会議員に当選して以来、四十五年余にわたり御支援いただいた鹿児島県の皆様や、すべての友人、知人の皆様のおかげであり、心より感謝を申し上げるものであります。(拍手) 私どもが衆議院に初めて議席をいただいたのは、昭和五十四年十月七日の総選挙においてでありました。
これはひとえに、静岡県民、ふるさとの皆様の二十五年にわたる御支援の賜物であり、深く感謝いたします。さらに、院を構成する先輩、同僚議員、関係者各位に御礼を申し上げます。(拍手) さて、私が国会に議席を得たのは、昭和五十二年の参議院議員選挙でした。
これもひとえに、旧静岡一区、現二区を初めとする静岡県民の皆様の変わらぬ御支援の賜物であり、心から感謝申し上げます。また、私事ながら、政治生活を支えてくれた事務所のスタッフ、年老いた母、亡き妻、その他の家族にも御礼を申したいと思います。 このたび、アメリカで発生した同時多発テロは、残虐、非道な無差別テロであり、心底から怒りを禁じ得ません。
(拍手) 私が二十五年の長きにわたり、本院に在籍し、院にあっては、法務委員長、外務委員長などの大役を務め、経済企画庁長官、金融再生委員長の要職も大過なく務めさせていただきました上、今日ここにこのような栄誉に浴することができましたのは、ひとえに、先輩、同僚議員の皆様の御厚情と郷土鳥取県の皆様の多年にわたる温かい御支援の賜物でありまして、この機会に心から厚く御礼を申し上げます。
これもひとえに連続当選九回二十五年の永きにわたりお支えいただきました地元有権者の皆様のあたたかいご声援のおかげであり、かつその間の政界の諸先輩及び同僚議員各位のご教導の賜物であると存じ、感謝の念にたえません。
これひとえに皆さんの御支援の賜物だと、こう心から感謝を申し上げます。 まだこれから四年度の決算に入るわけでありますから、またこれからも厳しい環境だとは思いますけれども、どうぞひとつなるべく現年度に近づけるような、そういう審議日程を図っていただいて、濃密そしてまた促進を図るようにお願いを申し上げて、心から感謝を申し上げて退任のあいさつといたします。 大変どうもありがとうございました。(拍手)
これひとえに先輩、同僚議員のご指導、ご鞭撻の賜物であり、厚く御礼申し上げます。更には郷土大阪、特に大阪第六区の皆様方の変わらぬご支援、ご厚情に対してはどのようにお礼を申し上げてよいか、その言葉もありません。唯々、感謝の気持で一杯であります。有難うございました。
それが明治以来非常に先人の御努力で、長い将来を見渡して教育が大事だということを考えて、あるいはもう明治より前からかもしれませんが、教育が大事だということでずっと努力を重ねてきた賜物であろうというふうに思います。 そのことに比べますと、今日、シーリングは全部一緒にかかってしまうというあり方がちょっと昔の方の考えよりも後退しているのではないかと私はひそかに思っているわけでございます。
しかし、これは政府・与党というよりも、我々野党がというと恐縮でございますが、一生懸命協力した賜物だと私は思います。参議院は、実はきのうもきょうも朝から夜まで昼飯も食べずに審議をしているわけでございますが、そういうさなかでそれを無視するかのように政争に明け暮れている方々がいらっしゃるのは、甚だ私は不愉快でございます。 この不況を脱出するには、まず政府がリストラをしなくちゃいけないと私は思います。
そしてその中には、「それは先の大戦での尊い犠牲の上に築かれたものであり、先輩世代の皆様方の御功績の賜物であったことを決して忘れてはならない」というふうなことで出ているのですが、羽田総理のはいかんせん、そういう文句がないと思うのです。——ああ、ありましたね。 国民に多くの犠牲をもたらしたばかりでなく、近隣諸国の人々に今なお大きな傷痕を残しております。
それこそ人類に与えられる最もすばらしい賜物ではあるまいか」」、こう考えたけれども、これは全面的に実行はできなかったということも書いてあります。私どもも間接税はすべてなくせとは言っておりませんけれども、やはり消費税、とりわけ飲食料品非課税ぐらいは実現していただきたい。でないと、ネロ以下になってしまうということを申し上げて終わりたいと思います。
昭和四十二年一月の第三十一回総選挙に初当選以来、連続九回、二十五年の永い間、本院議員として在職し、今回の表彰の栄誉に浴することができましたのは、ひとえに郷土岡山の皆様の暖かいご支援のお陰であり、同時に、先輩、同僚議員のご指導ご鞭撻の賜物と心から厚く御礼申し上げます。その中には今は亡き方々も沢 山ございます。そのお一人お一人に深甚なる感謝を捧げます。
二十五年の長い年月にわたり、衆議院議員として国政に参画し、この栄誉に浴することが出来ましたのは、ひとえに郷土群馬の皆さんの変わらぬ御支援と、先輩、同僚議員各位の御指導の賜物であり、ここに改めて心から御礼申し上げます。又私事になりますが、四年前に亡くなりました妻の陰の苦労に感謝の念を表すことを御許しいただきたいと存じます。